UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)

アメリカの大学で出会い、姉のような存在であるジュジュ(ジュリエット)のストーリーです。現在UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働く彼女から、UNHCRへの募金の多い日本の皆さんへ感謝を述べてほしいことと、自分の記事をシェアしてほしいと言われました。1994年のルワンダ大虐殺に関しては、大学時代に話をしてくれたことはありませんでした。今思うと当時それは5、6年前の出来事だったのです。大学では誰にもしていなかったと言っていました。26年経って語られる事実です。UNHCRのHPの記事を訳しました。ぜひ読んでみてください。

https://www.acnur.org/es-es/noticias/historia/2020/8/5f3d7a574/pertenezco-a-los-refugiados-dice-una-funcionaria-clave-del-acnur-en-peru.html?fbclid=IwAR20VsKjs47uFOEay1Ma2peNLFlpd-_GuvV78gRIU7db0YpvnwV1pBtH8wg


ジュリエットさんにとって UNHCRで働く事は天職に他なりません。 ルワンダ人の両親が民族暴力から安全を求めて隣国ブルンジに逃れたのち、彼女は難民として生まれました。そして現在、難民のための奉仕活動に身を捧げ、彼らの境遇に身を置かずにはいられないのです。

「ベネズエラ難民が路上でお菓子を売っているのを見ると家族を助けるために落花生を売っていた自分が見える。」ペルーのUNHCRのシニア・フィールド・コーディネーターであるジュリエットさんは、現在ベネズエラの難民や移住者が必要としている支援を行っています。

ジュリエットさんが初めて自分が人道主義者であることを知ったのは1994年、故郷のあるルワンダで80万人以上の男女と子供の命が犠牲になったルワンダ大虐殺の後でした。高校を卒業したばかりの彼女は傍観していられないと思い、両親に内緒でルワンダに渡りました。彼女がそこで見たものは恐ろしい光景でした。

「死体の上を歩かなければならず、多くの負傷者やトラウマを抱えた人々を目の当たりにしてショックを受けた 」と振り返ります。

ジュリエットさんは、ルワンダ南部のニャマタ市にある地元の病院で他のボランティアと一緒に生存者の家宅捜索の手伝いをしていました。彼女の献身的な姿勢がUNHCRのスタッフの目に留まり、ジュリエットさんに大きな可能性を見たスタッフは、彼女を代理店の仕事に応募するよう誘いました。そして1996年、彼女は保護アシスタントとしての初職をオファーされました。

そして、彼女の人生を大きく変える役割を果たすことになるアメリカ人看護師のマーガレットさんと出会います。マーガレットさんは彼女が英語を一言も話せなかったにもかかわらず、アメリカで高等教育を受けられるようにサポートしました。マーガレットさんの親しい友人たちは、ジュリエットさんの旅のスポンサーとなり、ジュリエットさんを家族に迎え入れ、彼らの支援を受けて、すぐに経営学の学士号と国際関係学の修士号を取得しました。

アメリカで快適な生活を送っていたにもかかわらず、ジュリエットさんは人道的な仕事に戻らなければならないことを分かっていた為2005年に国連ボランティアプログラムを通じて西サハラのUNHCRに参加。7年後、UNHCRスタッフとして採用された彼女は、イエメン、スイス、エチオピア、アルジェリア、そして現在のペルーなどの国々に赴任してきました。

ジュリエットさんは、17年間のUNHCRでの活動を通して、経験してきた多くの困難を振り返りながら、「誰もが人道支援者になれるわけではありません。快適な家や家族から離れてテント暮しをしたり、不便な所に行かなくてはなりません。献身的でなければ、やり遂げることは無いでしょう。」と語ります。

彼女はイエメンでの緊急時に、生後4ヶ月の息子をバルセロナに残しイエメンでの仕事をすることになったときの心の痛みを語ってくれました。「簡単なことではありませんでしたが、仕事に戻って自分がやるべきことをしなければ、私は惨めな思いになり、夫や息子にも辛い思いをさせてしまうと思いました。夫がいつも支えてくれていてありがたいです。」

ジュリエットさんにとって、人道活動で最も困難なことの一つは、答えを出せずに苦しんでいる人々を見ることです。彼女はソマリアとの国境にあるエチオピア東部のドロ・アドの難民キャンプで働いていたときに出会ったソマリア人女性の悲痛な話を思い出しました。

その女性は、5人の子供を連れて自分と他の子供たちを守るために必死に安全を求めて亡命しました。その道中はとても危険で、3人の子供が途中で亡くなるという想像を絶する悲劇に見舞われた上、女性はその子供たちを埋葬することさえできませんでした。この女性をどうやって支えられるのか?悩みました。子供たちを彼女の元へ連れ戻してあげることはできないのに。と。"新しい家"となった彼女の店を見に行く準備が整うまで私は泣かないと決め涙をこらえながら過ごしました。

2018年、ジュリエットさんは、政治・社会経済危機から逃れたベネズエラ人の亡命希望者が3,000人から2年の間に50万人以上に増加したペルーで、UNHCRの事務所を立ち上げる緊急チームの一員として派遣され、現在も難民保護活動に尽力しています。